28日(土曜日)横浜市某区文化祭にて、区民ホールライブをしてきた。 [音楽]
実は色々と多趣味な私・・・
音楽 特にギターは、小学生の頃から聞き始め、中学に上がってから始めて銀座ヤマハでフォークギターを買ってもらった。
その頃から、このブログにもよく登場してくれる「悪友」と二人で、吉田拓郎を一緒に唄ったりしていた。
高校に入って、ブリティッシュロックとフュージョン(死語?)に目覚め、バイトしてエレキギターを相次いで2本買った。
それが今でも大切にしているヤマハのSG2000とSC1200。


実は昨年11月3日(文化の日)に、悪友が住む 横浜市某区の区民祭りで、30分の路上ライブをすることになって、それに合わせて、何度か横浜界隈のレンタルスタジオで音合わせをしてきた。
悪友と、彼の同僚だった若者Hくんとの3人。
何十年ぶりでレンタルスタジオへ行くようになったが・・・
学生の頃、駿河台界隈の楽器屋のレンタルスタジオにはあしげく通っていた時期があったが
その頃の「学生向けのレンタルスタジオ」とは、雲泥の差・・・
広さも機材も充実していて、どのスタジオにもほとんどメディアレコーダーとミキサーは置いてあるから、
慣れてくればCD-R等に録音もできてしまう・・・
IP電話(050)とルータとブレーカ・・・WebCaster V130 [コンピュータ]
フリーダイヤルはすっかり定着した感があるが、
最近、「050-」で始まる電話番号を頻繁に眼にするようになった。
携帯の着歴も(保険屋さんとか、病院の先生とか)、この「050-」が結構多い。
ちょっと前にやっていた仕事の関係で、郵便番号か市外局番を聞けば、とりあえず県名と何市 は大体覚えていたが、携帯と050が万延するようになってからはどこの誰からかかってきたのか想像も付かなくなった。
で、昨年末に、今の仕事で色々相談させていただいているパートナーから、
「・・・それにしても、ホームページの記事も結構増えてきているのに、連絡先の電話番号が携帯っていうのは いかがなものか・・・」と鋭い一撃。
・・・確かに一番気になっていたところだ。
住所の記載方法も・・・ 自分で書くのも何だけど、いかにも怪しい。
かといって、自宅の電話番号と住所をダイレクトに載せちゃうのも、かなり怖い。
個人情報漏洩 どころか、個人情報公開 はさすがにまずい。
・・・どうすりゃいいの・・・♪ って思っていたら、
その彼が、「050-を取ったらいいじゃないですか・・・」と。
・・・そうか・・・ 巷に溢れている 「050-」 を取ればいいのか・・・
・・・そもそも この「050-」は何者だ?
と調べ始め、悪友にも何度か「こっそりと」教えてもらい、
これがよく耳にする 「IP電話」だったんだ と言うところに結びついた。
なんだ・・・ IP電話か・・・ もっと早く取っておけばよかった・・・
うちはNTTのBフレッツでひかり電話にしているから、すぐ取れるんだろう・・・
・・・と安易に考えた。
機能性プロテクトメガネ 「JiNS PC」 を買った。 [コンピュータ]
昨年7月頃から仕事を変え、展示会や打ち合わせで外出する以外は、
ほとんど一日 PCと向かい合う日が続くようになった。
で、それ以来、視力の急激な低下、疲れ目、ドライアイ・・・が顕著で、コリャ参ったなぁ と思う毎日・・・
ドライアイ用と、疲れ目・水晶体レンズ機能フォロー用の目薬が手放せない。
とそんな時、先週だったか、新聞朝刊の一面広告がドッカーンと目に焼き付いた。
そのキャッチ
「パソコンにはメガネ、という新習慣」
「ブルーライトから眼を守る」
「ディスプレイの文字をクリアに」
「機能性アイウエアプロテクトシリーズ」
(・・・「アイウエオプロテクト」 って、初め読んでいた・・・ 「アイウエオ」に新しさを感じた・・・??)
で、飛びつくようにオンラインショップで購入・・・ 【JiNS PC シリーズ】
17年目の 「1月17日」 [日記・雑感]
今日の横浜は快晴で、とても寒い一日。
いつものように1月17日が来た。
・・・もう17年経ったんだ。
昨年3月11日の東日本大震災から、もうすぐ1年。
その甚大な被害は、収束どころか、いまだ原発がまき散らす放射性物質の「見えない汚染」におびえ、
街は復興の目処が立たず、さらに、記事を書いている今すぐに襲ってきてもおかしくない東南海大地震を目の前にしながら、
どうしようもない「人間の非力さ」を思い知らされるばかり。
横浜あたりは元旦から揺れ、今日もお昼頃に揺れ、油断する隙を与えれくれない。
復興には、これからどれくらいかかるのか
阪神淡路の時の翌年は、どの程度 復興していたのか・・・
手元にその頃の手帳が見あたらないので思い出せない・・・
のほほんと過ごしていても緊張しながらびくびくしながら過ごしていても、
飲んだくれていても泳いでいても、五十肩だと言われても
みんな同じように時間は流れる。
特に最近、「一年の長さ」がとても短く感じられるようになってきたが
みんな同じように時間が流れているんなら、
自分のできる方法で、自分のできる範囲で、時々は ちょっとだけ背伸びして、
少しでも世の中の役に立てる そんな時間を過ごしたい
それと、家族みんなが笑顔でいられるようにしたい
そんなことを思った、今年の1月17日 です。
大阪に行ってきた ③ 「ミナミ」「法善寺横町」 [旅行]
梅田でお昼を食べ、御堂筋線で「なんば」へ。
・・・相変わらず人が多い。
そして、「デカい」ディスプレイも健在! にぎやかにぎやか!!
さすが 「食」の大阪!
(・・・初めて、カメラの「アートフィルタ」なるものを使ってみる・・・これは「ラフモノクローム」 )
大阪に行ってきた ② 「新」JR大阪駅 [旅行]
天気も良くて、「新」大阪駅探検 へ、再度向かう。
このあたりは、どんどん変化・進化(?)している。
・・・というか、駅の北側には、阪急側以外、あまり行く用がなかった。
天井の低い通路の両側には、日本各県の物産店がずらっと並んでいた。
それが、線路の上に巨大な「橋」と「屋根」がかかり南北が結ばれ、北側にもビルが建ち、京都駅同様、伊勢丹が入った。
上の写真の左に建っているのは昔からある建物で(駅南側)、大丸と、上層階はターミナルホテル(今はホテルグランヴィア)。 「SOUTH GATE BUILDING」 と呼ぶそう。
(在阪時に私たちが結婚式をしたのが、このターミナルホテルでした・・・)
ホームには、一部 昔の屋根の残骸の工事中。
大阪に行ってきた ① [旅行]
5日~7日、かみさんの実家(大阪市城東区)に行ってきた。
久し振りの大阪・・・ というか、久し振りの「旅」・・・
お寺さんへ行くことが第一目的だったが、なにしろかみさんの実家からお寺さんはとても近い。
そして、在阪時、子供を連れて遊びに行った大阪城公園も近い。
(私が住んでいたのは、かみさんの実家の一駅先だから、やっぱり大阪城公園も近かった)
さらに、大阪へ行くときには、どうしてもはずせない場所もひとつできた。
ブログを始めた頃からコメントを頂くようになった 全国各地の大切なお友達の中の一人。
その大切なお友達のお店が昨年「移転新装開店」、ブログ上では拝見させていただいていたが、
実際に伺うのは今回が初めて。
彼に会うのも、とても楽しみだった。 ブログやtwitterで、新年は5日から営業 と聞いていた。
→井上酒店さん
横浜から大阪へ向かう新幹線途中 米原あたりは大雪で、珍しく15分ほど遅れたが、
大阪に着くと まあ何ともすばらしい冬の青空で(非常に寒かったが)、あちこち行きたいところもあったので、
無計画ながら結構 市内を出歩いてきた。
今までずっと、新大阪に着いたらそのまま地下鉄で実家まで(御堂筋線→中央線 で、30分かからない)。
でも今回は、まず彼のお店に行きたかったのもあって、それと「新」大阪駅(「新大阪」じゃなくて、「新」JR大阪駅 !)
も探検したかったので、JRで途中下車。
最寄り駅(JR環状線 福島駅)からもすぐ近く。
普通にイメージする「酒屋さん」とは、明らかに違うモダンな店構え。
中に入ると、三代目が自ら足を運んで樽元さんと会って、彼の味覚や感性で選び抜いた
こだわりの日本酒、ワインが列んでいる。
私は・・・日本酒もワインも、実は余りよく分からないけれど、一度ゆっくり、三代目のお話を聞きながら
飲み比べをしてみたいなぁ・・・と常々思っている。
・・・それにしてもお店の中が「寒い!」 表の扉も開けっ放し!
聞けば、お酒の品質を良い状態に保つための温度管理で、暖房はつけられない。
特にデリケートな日本酒は、店内造りつけの「0℃」のウォークインセラーで管理されている。
この時期、お店の中で一番暖かいのは、ワイン用のウォークインセラーだそう・・・
先代から受け継いだ酒屋さん 歴史は古いが、今の地では後発新規参入で、
確かに駅から商店街を歩くと、飲食店がとても多い競合エリア。
色々と苦労も多いと思うけど、でも、まだまだ若いし、何よりも
普通の酒量販店ではなかなかお目にかかることができない「確固たる品揃え」
があるのだから、これをどんどん発信して、今年の年末はもう忙しくて忙しくて、休んでられない!
という風になるように、お互いがんばりましょう!!
・・・ということで、三代目のお店でしばし色々お話しをさせてもらって、実家へ向かう・・・
続く
今年もがんばって、いい年にしましょう! [日記・雑感]
昨年は、悲惨なこと、悲しいことがたくさんあって、辛い一年でしたが・・・
今年は、みんなで一生懸命がんばって、
時々は休んで
いい年にしましょう
今年も、よろしくお願いします。
幼なじみ に、辛く、悲しいことが・・・また起こった。 [日記・雑感]
ここ十年以上、お互い忙しくて直接会ったり ということはないのだが、幼稚園の頃からの幼なじみの女の子(・・・じゃあないですね! 同い年だから! オバサン!)がいます。
きっかけは何だったのかは全然覚えていませんが、お袋同士もずっと仲が良くて、
洋裁をしていたからか料理が好きだったからかも、もちろん忘れてしまっています。
幼稚園、小学校・・・までは一緒。
お習字やそろばんに通うのも一緒。
中学は、私が小学校5年の時に、隣町にできた「マンモス団地(当時は全国的にこう呼ばれていました)」に引っ越してしまったので別の学校になってしまいましたが、同じ頃に彼女も浦和に引っ越してしまって、でもそれからもうちに遊びに来たり彼女のうちに行ったり・・・
節目節目ではいつも一緒だった。
そんな景色の後ろ側には、必ず彼女のお袋さんと私のお袋が楽しそうにしている風景があった。
彼女は3人姉妹の末っ子。
上の二人は学校の先生になり、彼女は運動神経はあまりヨロシクはなかったが、
小さい頃から本をよく読んでいて、そろばんに通い始めてからは頭角を現し始めた。
なので、高校を卒業してからは自然な流れで大手銀行に就職、バリバリとその才能を開花させていった。
私の就職が決まって、スーツを買いに行くときにも一緒。
彼女の毎年の仕事始めの時は、銀行窓口の「行員の華(!)」だった彼女は毎年「お振り袖」を
着ていくことになっていたので、行き帰りは私が「運転手(!)」。
3人姉妹でヨーロッパ旅行 となれば、時間が合うときには成田まで車でお出迎え・・・
私も社会人になり大阪に配属になって一人暮らしを始めて2年目・・・
仕事中に腰を痛め、椎間板ヘルニアで1ヶ月ほど入院することになってしまった
(お仕事で出入りしていた病院だった・・・やりづらかった・・・笑)
その時は、方向音痴の彼女が 忙しい中 わざわざ休みを取って
遠路はるばる、大阪の南の方にあるその病院まで見舞いに来てくれた。
私のアパートの部屋のカギを渡して場所を教えて、オレの部屋、自由に使って良いから って。
私が住んでいたアパートの部屋から、毎日病院まで来てくれた。
もちろん、ぜーんぶ、彼女のお袋さんもオレのお袋も承知の上。
(・・・ということにしておく)
彼女の結婚式の時には、大阪から緊急参戦(!)し、新婦の「昔の友人代表」で一芸を披露し盛り上げた。
その時の彼女のお袋さんの、ちょっと寂しいけど楽しそうな笑顔が忘れられない。
私たちに長男が生まれてまだおむつをしていた頃に、新婚の彼女夫婦が関西に旅行に来たときがあって、
その時には、確か大阪では「花博」真っ最中で、「花博」と神戸にみんなで遊びに行った。
その後彼女夫婦にも二人の子供が生まれてからも、そんな幼なじみ のまま。
50をすぎた今でも、電話で話すと昔の呼び名でお互いを呼び合う・・・
両方の親も、私たちを昔のままで呼ぶ。
幼なじみって、私たち自身もその親も、いくつになっても幼なじみ なんだな・・・
今年は夏頃から私自身なんだかせわしない日が続いていて、
でも、私も私の親父も、「・・・yakko のご両親から、今年は暑中見舞いが来てないょなぁ・・・」って話していた。
親父さんもお袋さんも、体調があまり良くない ということは、少し前に聞いていた。
そんな師走の昨日の夜
突然、yakko から電話があった。
絞り出すような声で・・・











